恐怖の看護実習:たび猫の看護師転職記

恐怖の看護実習

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看護学校の1、2年目は、時々短期の実習があるものの、ほとんどが学校で知識の詰め込みになる。そこで、病態やら薬理学、看護学やら看護技術などを学んだ後、いよいよ2年目の冬から10ヶ月間、病院実習となるのだ。

 

 

これは学校によって違いがある。まず、看護大学は研究者や看護管理者を育てる教育機関なので、実習期間が極めて短い。専門学校にくらべればほんの少ししかないらしい。なんとも羨ましい話だ。研究者などになりたい人は、大学に行くに限る。

 

この実習が曲者なのである。とにかくきつい。何がきついって、勉強しなければならないし、レポートは山のように書かなければならない。体力的にもきびしいし、なにより現場の看護師さんが怖いのだ。私も実際、看護師さんに泣かされた苦い経験がある。

 

今思うと、あの看護師さんたち(数名いた)は、なぜあんなに意地が悪かったのだろう(失礼!)と不思議に思う。自分が臨床に出て思うことは、学生なんて素人に毛が生えた程度のものだということだ。そんな学生に、難しいことを期待することは到底無理だと思う。

 

もちろん、明らかにやる気がない学生や態度が悪い学生がいたら、厳しく注意する必要はあると思うが、私が実習に行った病院の看護師の中には、重箱の隅をつつくように、学生の行動一つ一つに目くじら立てて怒る人たちがいたのだ(全国的にみれば少なくないはず)。半端な知識の塊りの学生である私たちのあらを探すなんて、プロの看護師にとったら朝飯前だ。これは意地悪としかいいようがない、と私の目には映った。

 

私たちの学校の実習は、約1ヶ月ごとに病院あるいは科を変えていく。今月は急性期の看護実習なので、消化器外科に行く、来月は小児科実習のため小児科に行く、といった感じだ。5人くらいの実習グループに分けられ、10ヶ月間グループでそれぞれの科を回って行くのだ。

 

その中で、脳外科実習が一番恐怖の実習であった。その病院の脳外科は怖い看護師が多いという情報を事前に入手していたからだ。要するに悪名高い病棟であったのだ。先輩たちもみんなそれで痛い目にあっているという。事前に怖い看護師の実名まで漏れてきていたほどだった。

 

実際に実習に行ってみると、悲しいかな、噂は本当であった。意地悪な看護師さんたちは、本当に、本当に怖かった。何をやっても怒られた。というか、ナースステーションにいるだけで怒られた。病棟にいる間、人間として扱ってもらえなかったように思う。

 

攻撃的に怒る人もいれば、学生の存在を全く無視している看護師もいた。話し掛けても完璧に無視するのである。この年になって、このような扱いを受けるとは思わなかった。私はこのお陰で、この実習中は食事もろくに喉を通らなかったほどだ。あまりの悔しさに何度泣いたことか。この時心に誓ったことは、「絶対にこんな意地悪看護師にならない!!」ということだった。

 

考えてもみてほしい。看護師とは病気の人を良くするためにいる人たちである。なのに、この人たちは自分の後輩(将来の同僚)を病気の方向に追いやっている。いかに矛盾に満ちた行動かと思った。とにかくこの看護実習期間の一ヶ月は本当に散々であった。

 

しかし、私たちも一ヶ月もその病棟にいると、だんだん利口になってきた。どうやったら怒られないかを必死で考えているうちに、ある一つの方法が見つかった。そこの病棟の怖い看護師たちは、医師の前では怒らない、ということに気づいたのだ。実習最後のほうは、私たちは看護師に何かを報告する時は、なるべく近くに医師がいる時を狙い報告するようになった。医師がいるところでは優しい看護師を演じたいのか、とても優しいのである。人間の二面性を見た瞬間であった。

 

こうして一ヶ月を何とか乗り切れたのも、実習グループのメンバーのお陰であった。私はメンバーに恵まれ、そのお陰で10ヶ月過ごすことができたように思う。他のグループの話を聞くと、いつも一緒にいるからこそ、トラブルがあるグループもけっこうあった。私たちは、そんなこともなく、強い団結で助け合いながら10ヶ月過ごすことができ、過ぎてしまえば笑いあり、涙ありのとてもいい思い出になっている。

 

また、引率の先生に助けられたことも多かった。毎月実習毎に先生は変わるが、グループに必ず一人の先生がついてくれるのだ。看護師にいじめられへとへとになっている私を必死で励ましてくれた先生のことは、いつまでも忘れない。こうして、10ヶ月たつうちに、身も心も鍛えられていく私たちであった。

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