看護学というもの:たび猫の看護師転職記

看護学というもの

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それともう一つ驚いたことがあった。“看護学”というものであった。この世に“看護学”という存在すら知らなかった私は、まずそれに驚いた。よくよく考えてみれば、私は看護師になると決めてから、入学するまであっという間で、しかもよく看護師の仕事の内容など知らずにここまで来てしまった。なんともお気楽な話であった。

 

私の中で看護師の仕事とは、注射をしたりお医者さんの介助をしたり、あとは下の世話をするといった知識しかなかったのだ。とにかく、人が嫌がることも嫌な顔をみせずにする偉い人たち、といったイメージしかなかった。

 

しかし、入学してみると、病態といった専門的な知識の勉強の他に、私が思ってもいなかった“看護学”といった授業が多くあったのだ。この授業で要するに“看護の心”というのを叩き込まれた。これによって、私が思っていたよりもどうやら看護とは奥が深いらしい、ということに気がついたのだ。

 

まず、看護学の立場からしてみれば、注射や医師の介助などというものは、看護の仕事の中では些細なものらしく、看護の醍醐味とはそんなところにあるものではないらしい。これが驚きだった。世間の多くの人も私のように思っているのではないだろうか。

 

看護とは、一言で言うのはとても難しいが、私が思うに、「看護とは、病気で何らかの障害や不利益を受けている人が、ほんの少しでもステップアップするのを手助けしてあげる仕事」だと言える(違う、と言う人もいるだろうが)。ということは、患者さん一人一人によってステップアップは異なるので、できることは千差万別であるのだ。

 

患者さんによっては、痛みを取り除いてあげることかもしれない、あるいは話を聞いてあげることかもしれない、あるいは医師との間を取り持つことかもしれない、あるいは患者さんの異常にいち早く気づくことかもしれない、あるいは安らかな死を看取れるよう援助してあげることかもしれない・・・etc.というようにだ。なんて奥が深いんだろう!!しかし、やりがいはあるではないか、と感動したのであった。

 

注射や診察の介助、おむつ交換などの仕事であれば、訓練すれば誰にでもできる。しかし、看護とはそれだけではないのだ。いかに患者さんのことをわかってあげられるか、その人のセンスが問われるのだ。やることはいくらでもある。病院や科によっても求められることは違うのだ。これは、私が看護学校に入ってから初めて知ったことであった。

 

世間の人たちにも、看護師とはこのような気持ちで仕事をしている(はず)というのを少しでも知ってもらえたらいい、とこの時私は思った。多くの人は、私のように看護師の仕事を誤解しているように思うからだ。この文章を通して、一人でも多くの人に、このことが伝わることを願っている。

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