保健師学校・推薦入試の失敗
こうして3年生の10月に、辛くて長い10ヶ月間の怒涛の実習が終わると、休む間もなく次は看護研究に取り組まなければならない。これもまた、かなり時間と労力を使うもので、ここでもまた私たちは苦しまなければならないのだ。しかも、数ヶ月後の2月には最後の難関、国家試験が待っているのに、である。こんな研究をやっている暇があったら、国家試験のための勉強をしたい、と何度思ったことか。しかし、もちろんそんなことが許されるはずもない。
よって、実習・研究・国家試験と、私たちはわき目も振らず突き進まなければならないのである。ここまでくると、とにかく体力勝負である。風邪だけは引かないよう注意した。
研究は、そこそこ手を抜き、当り障りのない程度のもので終わりにし、私はさっさと国家試験のための勉強を開始した。これに落ちたら3年間の苦労が水の泡になってしまうからだ。いくら来年受験できると言えども、落ちるショックは大きい。それに今年落ちたら、来年落ちる可能性の方が極めて大きいと思い、後がないと思って試験勉強に臨んだ。
しかも、もう一つ忘れてはいけない一大イベントが私にはあった。そう、保健師学校の受験である。私は県立短大の保健学科の推薦入試を受けたかったのである。それは11月初旬にあった。私は3年間勉強を猛烈にがんばったお陰で、希望通り学校の推薦を取り付け、推薦入試を受けることができた。
それもそのはず、私はこの日のために、成績を全科目“A(優)”を取る、と入学した時より心に決めており、実際オールAを取り続けたのであった。オールAであれば推薦はもらえ、加えて試験にも合格するだろう、と何の根拠もなく、勝手に考えたからだ。しかしこのような考えは半分しか正しくなかった。確かに希望通り推薦はもらえ、実際推薦試験も受験することができた。しかし、推薦入試の結果は予想外の“不合格”だったのだ。
この時の私のショックと言ったら、この世の終わりかと思うようなものだった。同じ県立の学校だし、かなり私は有利なはず、と勝手に思い込んでいた私は、とにかく結果を受け入れられなかった。“なぜ落ちたのか?”と延々と自分自身に問い掛けたけど、答えが出るはずがない。学校で結果を聞き、職員室で泣き崩れた。友達もみんな心配してくれた。私の家族も私が受かっていると思っていたらしく、私がメールで結果を送るととても驚いていた。
今になって思えば、良い成績を取り続ければ推薦入試に合格する、と思い込んでいた自分の思い上がりというか、勘違いがよくわかる。この時不合格になって、良かったのかもしれない。
しかしこの時、私は生まれて初めて、受験に失敗し自殺をする人の気持ちがわかった。それまでは、“たかが受験に失敗したくらいで、死ぬことはないだろう”と思っていた。世間にもそのように思っている人は多いのではないだろうか。しかし、自分が失敗してみてよくわかった。“受験に失敗して自殺する”という言葉の背景には、とても深いものが隠されていたのだ。
他人から見える事実は、“受験に失敗”という単純なことかもしれない。しかし、希望の学校に入学するため、3年間わき目もふらずに勉強してきた私にとっては、不合格にされた時点で、自分の全てを否定されたような絶望感に陥ったのだ。
下らない、と思う人もいるかもしれないが、そんな一言で片付けることができないほど、私は自分の情熱をかけていた。こんなに努力をしても報われなかった、という時の人間の絶望は、多分他人からはわからないと思う。
私は幸い、自殺にいたることはなかった。確かに“死んでしまいたい”とは思ったけど、行動に移そうとは思わなかった。それは“保健師になりたい”という強い目標があったからだ。ひょっとすると、受験戦争のように学校に合格すること自体を目標にしておくと、ここで終わっていたのかもしれない。
とにかくこの推薦入試で不合格となったときは本当に辛かった。しかし、この苦難を乗り越えることによって、結局、その学校は自分の進むべき学校ではなかった、ということが後々理解できた。また、思い上がっていた私にとって、この不合格は結果として良かったと今では思っている。乗り越えてみて初めて、人間はこの苦難を“あれは自分を磨くための試金石だった”と気がつくものなのかもしれない。
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