看護学校受験・合格発表日:たび猫の看護師転職記

看護学校受験・合格発表日

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合格発表の日のことは今でもよく覚えている。偶然にも合格発表は、2校とも同じ日であった。まず、地元の学校の合格発表を見に行った。もともと2年計画のつもりであった私は、落ちていてもしょうがない、と自分に言い聞かせながら発表を見に行った。すると、信じられないことに掲示板には私の番号があるではないか!!たまたま同じ学校を受験していた知り合いの人がいて、その人も合格していたらしく、2人で抱き合って涙を流して喜んだ。

 

今まで生きてきた中で、自分が心からやりたいと思って実際に行動に移し、努力し実を結んだのは、考えてみたらこれが初めてだったのだ。こんなに嬉しいことは今までになかった。普通看護学校というのは、高校を卒業してすぐの人が行くものだ、という固定観念がある(今は大分変わってきているかもしれないが)。その固定観念を自分で打ち破ったのだ!ここから私の人生に対する考え方がまた一つ変わった。人間やる気になれば、何歳になっても遅いということはない、また努力すれば何でもできるのだと。

 

とりあえず、地元の看護学校に合格した私は、看護師になるまず最初のステップは越えることができた。余裕が生まれ、本命の県立の学校の合格発表を見に行くことにした。車で1時間くらいかけ、学校に行った。すると、学校の前の掲示板に合格者が張り出されていた。そして、本当に信じられなかったのだが、そこには私の番号があったのである!!

 

何度も何度も間違いでないか確認した。しかし何度見ても私の番号だ。一人で発表を見に行ったので、誰かに確認してもらいたくなった。学校の中に入り、窓口で図々しく、「私本当に合格してますか?」などと尋ねた。すると本当に私は合格していた。しかも、希望であれば何番で合格したか成績も教えてくれるという。聞いてみたら、これまた驚いたことに、私は5番で合格していたのだ!こんなことってあるんだ、とびっくりするとともに、本当に笑いが出てくるほど嬉しかった。あの時の感動は一生忘れないだろう。頭のいい人たちから見れば、本当に些細な成功かもしれないが、私にとっては初めての成功体験であった。小さくても私にとっては成功は成功である。人間集中すればどんなことでもできるんだ、と行動を通して私は知ったのである。

 

帰りの道は、楽しいドライブだった。もちろん親にもすぐ報告した。ここまでこられたのは、両親のお陰でもあるのだから。私は天国にいるような気分で、心はすっかり入学してからのことに飛んでいた。それと、ひそかに私が考えていたことを実行にうつす計画も立てていた。それはギリシアに一人旅をする、ということである。

 

何を隠そう、私は受験勉強を始める時から、受かったら自分へのご褒美にギリシア旅行をする、と決めていたのだ。今までアジアばっかり旅行をしていた私は、いつかヨーロッパに行きたかったのだ。その中で特に、ギリシアは私の憧れの地であった。看護学校に受かったら、ギリシアを長くゆっくり旅行したかったのだ。仕事もなかなか辞められなかったので、結局3月31日まで勤めることにしたが、この旅行の分はわがままを言って休みをもらおう、と決めていた。そして、ついに合格したので、2月の末から3週間かけてギリシア旅行をすることにしたのであった。もちろん一人旅である。

 

受験から合格発表、ギリシア旅行まではあっという間に進んだ。所長もありがたいことに休みをくれた。すぐに格安チケットを取り、びっくりする親を尻目に、とっととギリシアへ旅立つ私であった。

 

初めての一人旅のギリシアは私にとって、本当に思い出深い旅行となった。今思い出しても、この3週間は私の心の中で今でもきらきら光っている。このことについては、あとで別に詳しく書こうと思う。とにかく、この旅行も私の人生の中で重要なものとなったのであった。

 

こうして、ギリシアを3週間かけて旅して帰ってくると、3月の20日くらいになっていた。それから3月31日までは、最後の頑張りとばかりに働き、3月31日を持って、私の社会保険労務士事務所での仕事は終わった。結局、私は社会保険労務士の資格を取ることはできなかった。でも、ここでパソコンの使い方や税金のこと、社会保険のことなど沢山のことを教わり、とても貴重な経験をさせてもらった。看護師を目指す私を事務所の方々をはじめ、各役所の方々や顧問先の方々など皆が応援してくれた。本当に感謝の気持ちでいっぱいである。これを無駄にしないよう、私はよい看護師になるなければならない、と心に決めたのであった。

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