保健師学校合格!:たび猫の看護師転職記

保健師学校合格!

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看護学校も授業がなくなり、2月に入るとほとんど家で国家試験の勉強をして過ごす日々となった。そんな2月の中旬のある日、まず一つ目の保健師学校の合格通知が届いたのであった。

 

それは、ある短大の合格通知であった。この時の私の喜びようと言ったら!本当に大声を出し、飛び上がって喜んだ。この短大は、外部の学校からは数人しかとらないため、外部の人にとっては倍率がものすごく高く、“合格は無理じゃないか”と言われていた学校だからだ。

 

しかし、合格したのである!!これで万が一、残りの学校全部落ちても、とりあえず保健師への道は開かれたのである。やっと安心することができた瞬間であった。その後からは、次々と合格通知が届いた。

 

そしていよいよ本命の学校の合格発表日、こと時だけは、通知が届くのを待ちきれず、学校まで妹に見に行ってもらうことにした(自分では怖くて見に行くことができなかった)。

 

結果を不安と期待が入り混じった気持ちで待ちわびていると、ついに、妹から携帯電話に連絡が入った。「合格者の番号の中に○○ちゃん(私)の番号があるんだけど。おかしいな」と。妹にとってもまさかの合格だったのだ!あの学校に受かるなんて、まさに奇跡であった。自分でも図々しく本命としながらも、私の周りはみんな、看護学校の先生方も私が受かるとは思っていなかったに違いない。そのくらいの倍率だったのだ。

 

この時の私の気持ちは、まさに“天にも昇る”といった状態であった。幸せで頭がボーっとしていた。捨てる神あれば拾う神あり、というが、推薦入試で落ちてそれからがむしゃらにがんばった私を、神様がきっと助けてくれたに違いない、と思った。いやそれよりも、神様は私にもっと違う学校を見て欲しくて、あの学校を不合格にしたんだ!と私は心から感謝した。そして、あらためて父にも感謝した。「ああ、本当にお父さんの言う通りだった。まさに人間万事塞翁が馬だったね」と。

 

こうして私の保健師学校の受験は、幸せな結末を迎えることができたのであった。大学時代までは、たいした勉強もせず、だらだら生きてきた私である。でも、こんな私でも夢に向かって、私にとっての難関を突破できた。

 

この経験を通して私は、“人間追い込まれればどんなことでもできる”ということと、“トラブルはその人を成長させてくれるもの”ということを学ぶことができた。

 

そして、もちろん友達をはじめ学校の先生方や家族のみんなに励まし、応援してもらったことは決して忘れない。みんなの支えがなかったら今日の私は決してなかっただろうから。この経験を通じて人間一人で生きているのではないのだということを実感した。

 

ちなみに、妹も無事第一希望の保健師学校(短大)に入学。姉妹そろって4月から保健師学生、という喜ばしい結果となった。受験の辛い時、励まし協力しあった妹は、まさに私の同志だった。

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